藤ひろしのブログ『藤魂』

2021年3月25日

天から与えられた寿命がある限り生きる

亡き先代越川企画社長から背中を押され旗揚げが決まった10月。
旗揚げは翌年3月。
資金も充分ではなく生まれて初めてクレジットカードが役に立ちまして(笑)
念のため作ってたゴールドカードの枠一杯500万円分機材とか衣装買いましたが
全く足りなくて直ぐに追加でローン組んで旗揚げしてからも5年間は殆ど支払いに消えていく感じでしたね。
1月からメンバーが集まり合宿。
朝ご飯を食べて公民館でお稽古、夜ご飯を食べて次稽古する。
舞踊の映像見て覚えたり人数少なくてもやれるよう芝居の内容一部作り替えたり、
個人的に必然性がない二役やる位ならその役を減らしたりして分りやすくしたいので、
僕がお芝居チョイスする時は滅多に二役はやらせないです。

あっという間に合宿も終了。
旗揚げの瞬間って無から出来上がる劇団ですから、この瞬間を迎える大変さと初日終わった瞬間の感動は忘れないと思います。
引き継いで劇団を守るのも大変。でも創業者って本当に大変だなと痛感しました…。
もう一回やれ!って言われても出来ないな(笑)。
確実にこの劇団双六での7年で生命かなり燃やしましたし、メンバーにも大変な思い沢山させたな~と思いますが、
集客出来ないと興行社さんからも劇場さんからも圧を感じたり比較されたり本当に大変な稼業だなと思う事沢山ありました。
この苦労は劇団の経営に携わってる人間にしかわからないです。
僕もお爺ちゃんにお給料で雇われてる頃は経営者って凄く儲けてるって思ってましたから(^^;

旗揚げから一年経った時、栃木上延生ヘルスセンターで一周年記念公演に向けてお稽古に励んでた時3月11日。
芝居中に震度6.5の地震、東日本大震災。
今まで経験した事のない大規模な地震。
建物が崩れてまだまだ支払い終わってない道具が全部壊れたりみんな生き埋めになるのか?
色々な事が短い時間に頭に沢山よぎりました。
落ちてくるカツラやスピーカーを呆然と眺めていたら縦にドン!と揺れて
「何もかも終わった」と諦めた時地震が終わりその場にへたり込みました。
幸い怪我人はなく壊れた道具の修理代で済みましたがテレビを付けたら東北の大惨事…。
水が買えない、食糧もガソリンも。
100回以上続く余震。
4月末までの公演なので動く事出来ず余震の恐さに怯えながら暮らしてました。
水や食糧を九州のお客様が送ってくれたお陰で何とか暮らせました。
あの震災を経験したので、熊本地震の際は微力ながら募金活動もやらせて頂きました。
5月になってやっと九州に帰って来ました。

旗揚げした杵築、23日が一周年記念公演。
本当は小林正利君が出演してくれる予定だったのが4月に白血病で緊急入院。
一周年終わったら熊本の病院にお見舞いに行く予定でした。
5月21日、明けて22日に小林真座長から着信があり、悪い予感通り正利君が亡くなったと…
人が亡くなって声出して泣いたの初めてでした。
22日開演前劇団のメンバ-を集めて報告。

「どんな人生でも良い、でも生きたくても生きれない人もいるんだ。
頂いた命どんなに辛い事があっても最後まで大事に全うしてくれ。」

みんなに正直な気持ちを伝え、終演後お通夜に行きトンボ帰りで杵築に。
ほとんど眠れず向かえた23日、正の分も頑張るんだ!
それだけを考えて一心不乱に頑張りました。
あれから10年か…、いつか僕が死んだら先輩達や正利君と会えるのかな?
こればかりは誰も正確な事はわかりません。
天から与えられた寿命がある限り生きていきたいと思います。

長々と書いてしまったブログの閲覧ありがとうございました。
次回も劇団双六編パート2でお楽しみ下さい~
お楽しみはこれからだ!