藤ひろしのブログ『藤魂』

2021年2月8日

父からつけてもらった芸名

さて!14歳のひろし少年が父からつけてもらった芸名”長谷川菊五郎”(笑)
役者になった僕の初めての仕事は、師匠(祖父・初代)の風呂に初代の風呂道具を僕が預かり持って行き背中を洗って流す!
最初は子分役2ヶ月、初めて頂いた給料5,000円💦

初代から「今のお前は舞台道具も何も持ってない。芝居も踊りも出来ない。芸は教えてもらえる。ご飯も出る。寝る場所もある。こっちが月謝貰いたい位だ。」と穏やかな口調で説明された時に確かにな~と納得しました。😅

でものんびり屋の僕は何となく舞台に出始め、3ヶ月目初めての団体舞踊に出たらお給料が8,000円になり半年~10ヶ月目個人舞踊出始めたら15,000円になり、段階を踏んで祖父は給料を上げてくれました。
やる気の対してない時でも唯一大好きだったのはGODの舞台。😄
まさに全盛期ですから凄い人気とオーラ!

数年経ち再び若手大会に出演!
やくざ忠臣蔵の浅野役!吉良役はまさかの玄海会頭😱😱
前日に台詞聞いて徹夜で稽古して一番高いユンケル飲んでみんなゲーゲ言いながら向かえた本番(笑)
年に一回の晴れ舞台を幾ら会頭相手でも一方的に潰されてたまるか!と必死に芝居して幕が閉まった時脱力感で腰からへたり込んでたら会頭から「今日の芝居良かったぞ!その必死さを毎日出せるように頑張れ‼️来年もっともっと勉強して俺を喜ばせてくれよ」と初めて?誉められたのは今でも心に残ってます。

翌年から毎年今考えれば会頭からどんな評価されるのか?
また誉められたい!みんなに負けたくない!と役者としてやる気が年々出てきました😄
若手大会は途中からバーパスに場所を変えて座長になるまで毎年合計7回?出演させて頂きました。
本当に楽しかったし、僕の中のスタンド・バイ・ミーは若手大会だったな~と今でも思う事あります・・・。

そして遂に若手卒業。
何時か継ぎたいと思っていた三代目藤ひろしを襲名!
此処からはまた次回・・・
今回も最後までお付き合いありがとうございました。